梅雨明け発表がフライングであったことが後に発覚した梅雨の晴れ間に大阪府南部の堺市を訪ねました。 | |
19h50 dep. 新門司港 名門大洋フェリーターミナル 大阪南港行第2便 翌日 08h30 arr. 大阪南港 下船できたのは 08h50 頃 車に折畳み自転車を積んだまま一路,旧堺港へ 「南港南」 ランプ in →阪神高速4号湾岸線南行→三宝JCT直進→「大浜インター」 out 5.1km 440円 大浜インター出口から大浜公園駐車場への進路はこちら 09h10 arr. 大浜公園駐車場 自転車組立10分 - 00.0km 09h20 dep. 大浜公園駐車場 スロープ歩道橋で道路を横断し公園内通路を 400m 進む =00.4km 09h30 arr. 旧堺燈台 インスタ映えスポット!で写真撮影 - 00.0km 09h50 dep. 旧堺燈台 =00.4km 10h00 arr. 大浜公園駐車場 自転車折畳み積み込み10分 10h10 dep. 大浜公園駐車場 10h25 arr. シマノ自転車博物館最寄り駐車場 (博物館に駐「車」場は無い!ので注意) 10h30 arr. シマノ自転車博物館 500円 (月曜/祝日翌日/年末年始休業,10h00~16h30) |
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名門大洋フェリーが新造船就航記念で乗用車1台+ドライバーの新門司~大阪南港片道6割引 : 8,450円という激安価格に釣られて旅に出ました。 | |
![]() ↑ 17h00 発の第1便を新門司港埠頭でお見送り |
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今回は破格の安値でしたが,同航路フェリーはインターネット予約で通常価格 14,280円~(全長4m以下乗用車+乗員1名)と気軽に利用できる金額。
広くて快適な船内,合理的な乗船/下船時間とあわせて特に家族旅行にお薦めです。 翌朝,明石海峡大橋を眺めながらゆったりした船内レストランで朝食を摂り,8h30 定刻に大阪南港到着。 一路旧堺燈台を目指します。 阪神高速に1区間だけ乗り,大浜インターチェンジで降りてぐるぐるっと回って大浜公園駐車場に車を駐め,自転車を組み立てて旧堺燈台へ。 なかなか絵になる木造の白い灯台です! |
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昭和43(1968)年まで現役で灯されていたというのがまた素晴らしい! 白い灯台に露出が引っ張られたことと近景の自転車を置いた日陰と日なたでトップライトを浴びる灯台との明暗差が大きいため自転車が黒くつぶれ気味に写ってしまいました。 ネット上に上がった写真の撮影時間を調べてみると,夕暮れ時に撮影した写真が最も多いようでした。 ストロボを発光させて近景を際立たせられないかも試してみたのですが,どうしても不自然な映り方となってしまったので却下! この構図で撮影するなら太陽の軌道が高く近景・背景ともに日の射す夏期の正午~14h00 頃の時間帯がお薦めです。 |
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車なしでフェリー利用の場合は上陸した大阪南港の名門大洋フェリーターミナルビル前バス停 (南港フェリーターミナル) からフェリー入港時間に合わせて運転される連絡バスに乗ると 「旧堺燈台」 まで徒歩13分(1100m)の南海電鉄本線 「堺」 駅前までひとっ飛び ( 南海バス42V系統堺東駅前行 09h15発→堺駅前 09h33着,510円)。 さて 「シマノ自転車博物館」 の営業開始時間となったので車でGO! |
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「シマノ自転車博物館」 は自転車部品と釣具を製造する株式会社シマノが運営する博物館で,南海電鉄高野線の 「堺東」 駅から徒歩5分(350m)
の距離にあります。 なかなかマニアックな収蔵展示物がたくさんあるので,自転車に興味のある方にはお薦めの場所です。 以前は大仙古墳 (仁徳天皇陵)
の南に 「自転車博物館サイクルセンター」 という名称で店開きしていたのですが,こちらの館オープンを機に (2022年3月) 閉館となっているのでお間違いなく。 シマノ創業者の島野庄三郎を育んだ 「堺」 は江戸時代に刀鍛冶・鉄砲鍛冶たちが大活躍した職人の街です。 そんな環境で長じた庄三郎は28歳で起業(大正10=1921年)。旺盛な進取の気性と確かな技術で自転車用高性能フリーホイールの国産化でシマノの礎を築き,同社はその後世界的な自転車部品メーカーへと成長を遂げます。 なおこの 「シマノ自転車博物館」 が建つ前,ここは自転車部品製造のライバル会社 「サンツアー」 の工場があったそうです。 シマノが自転車部品の分野で現在のような世界的名声を獲得する1990年代以前から自転車に乗り続けている自分にとっては懐かしい名前です。 「シマノ自転車博物館」 は毎週月曜/休日の翌日/年末年始が休館,10h00~16h30 の開館,大人入館料 500円。 |
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↑ レプリカながら貴重な収蔵展示品の1台がこの 「ドライジーネ」 という木造二輪車です。 車輪を左右ではなく前後に2つ配置した二輪車という乗り物は,意外にも自動車の誕生
(1769 仏キュニョー) の半世紀後のことでした。 ドイツの発明家ドライス男爵が発明し自らの名前を冠して 「ドライジーネ(1817)」 と名付けました。
じつはこのドライジーネの誕生にはドイツから遠く離れたインドネシア,タンボラ火山の大噴火が深く関わっています。 1815年に史上最大の噴火を起こしたタンボラ火山の噴煙がインドネシアだけに止まらず世界規模で日照不足を引き起こし,農作物や牧畜用飼い葉の不作によって馬車牽引用の馬が足りなくなったため,馬車に代わる機動性の高い乗り物としてドライス男爵が考案したのがこのドライジーネだったという訳です。 回転している限りは倒れないジャイロ効果を活用する世界初の前後二輪車ドライジーネでしたが,私たちの知る自転車とは次の二つの点で異なります。 ・ ドライジーネはギヤとチェーンで駆動力を後輪に伝えて走るのではなく運転者が自らの左右の足で交互に地面を蹴って進む ・ 車輪は空気入りゴムタイヤ (1889 英ダンロップ) ではなく木製車輪で石畳の道を走りました (股間が痛そう) |
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↑ もう一つの興味深い収蔵展示物,これはオリジナル。 世界初の折畳み自転車です。 フランス陸軍歩兵ジェラール大尉が考案,プジョー社が量産したものの1台(1895)。
組み立てた時の前後長 148cm,折畳み時の前後長 78cm,重量 16kg,車輪径 22 inch。 現代の代表的折畳み自転車 Brompton (1975~) の 146cm,61cm,11kg,16 inch というスペックと比較しても遜色ない高い完成度で,世界初の折畳み自転車がこれほど高い完成度だったというのはかなり衝撃的! 後輪軸の真上というかなり後ろ寄りにサドルを配置,荷重荷重が大きく前輪操舵が軽快となるリアヘビーな重量配分はジェラール大尉が戦場の悪路走行から得た知見が反映されているのでしょうか。 とにかくシマノ自転車博物館は見どころ満載です! |
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