雲仙鉄道逍遥 第1日

長崎県島原半島の西側,島原鉄道 「愛野」 駅から半島基部を北から南に横断し橘湾沿いに南下,小浜温泉に至る全長 17.5km の軽便鉄道 「雲仙鉄道」 が大正末~昭和はじめにかけての非常に短い間だけ走っていたことをご存じでしょうか? 当時列車はこの区間を63分で走っていたので文字通り自転車並みのスピードということになります。 廃線から80年以上経つ現在なお線路跡のほぼ全区間が 「長崎県道201号線」 として通行可能となっており,しかも随所に鉄道の面影を残しています。 勾配に弱い蒸気機関車時代の鉄道線路跡ですから,こちらも勾配に弱い自転車との相性もバッチリ! これはもう走らない理由がありません。(笑)

冬の晴れ間を待って有明海を渡りトコトコ走ってきました。 走行動画を撮影する関係で,冬の低い太陽が画面に入らぬよう復路の小浜→愛野(北行き)で撮影,往路の愛野→小浜はロケハンに当てることにして1泊2日の旅程で出発。

本稿は第1日 : 2021/12/07(火)のリポートです。 なお第2日:2021/12/08(水)のリポートは本稿最後にリンクでご案内します(走行動画は 第2日リポート で紹介しております)。 
それでは行程をご説明しましょう。
◆ 第1日 : 自宅~(自転車 : 3km)~最寄りのJR鹿児島本線 「植木」 駅前 (自転車折畳み収納要10分)
        「植木」 駅 (跨線橋昇降要5分) = = (列車輪行) = = 「長洲」 駅 (跨線橋昇降要5分)
        「長洲」 駅前 (自転車組立要10分)~(自転車 : 2km)~ 長州港
        長州港 vvv (フェリー) vvv 多比良港
        多比良港 ~(自転車 : 1km) ~島原鉄道 「多比良」 駅前 (自転車組立要10分)
        「多比良」 駅 = = (列車輪行) = = 「愛野」 駅
        愛野駅前 「愛野村驛跡」 (自転車組立要10分) ~(自転車,旧小浜鉄道跡 : 17.5km)~「肥前小濱驛跡」
        「肥前小濱驛跡」 ~ 小浜町・ビジネスホテル泊(自転車 : 2km
        第1日自転車走行距離 : 25.5km
 ◆ 第2日 : 宿~刈水鉱泉~生目(いきめ)八幡神社(展望台)~(自転車 : 6km)~リストランテharupan (昼食)
        リストランテharupan~(自転車 : 1km)~「雲仙鉄道肥前小濱駅跡」
        「肥前小濱驛跡」~(自転車 : 17.5km)~「愛野村驛跡」 愛野駅前 (自転車折畳み収納要10分)
        島鉄 「愛野」 駅 = = (列車輪行) = = 「多比良」 駅
        「多比良」 駅前 (自転車組立要10分)~(自転車 : 1km)~多比良港
        多比良港 vvv (フェリー) vvv 長洲港
        長州港~(自転車 : 2km)~「長洲」 駅前 (自転車折畳み収納要10分)
        「長洲」 駅 (跨線橋昇降要5分) = = (列車輪行) = = 「植木」 駅
        植木駅前 (自転車組立要10分)~(自転車 : 3km)~自宅
        第2日自転車走行距離 : 30.5km
実はこの 「雲仙鉄道廃線跡」,2019年秋に一部を走っているのですが (千々石→小浜),今回は前回道に迷って断念した 「愛野~千々石(9.5km)」 もきちんと下調べを済ませてコンプリートしたいと思います!
 ◆ 第1日リポート ◆
カモメの朝ごはん第1日朝,8h00AM に自転車で自宅を出発,日が昇るとずいぶん暖かくなります。 最寄りのJR九州鹿児島本線 「植木」 駅までは平坦路と下り坂の 3km。 駅前で自転車を折り畳み輪行袋に収納します(所要10分)。 跨線橋の階段を昇降して(要5分)長洲方面行列車の到着を待機。 植木駅にも早くエレベーターを設置してほしい!8h45 発の列車で長洲を目指します。

長洲着 9h09,こちらもエレベーターの設置をよろしく! 南口階段を降り自転車を組み立てて (所要10分) 長州港に向け走ります(8分)。 10h00 出航予定のところ自動車積込設備改修中のため5分遅発。 乗船客が給餌するかっぱえびせん目当てのカモメがいつまでも船を追いかけてきます!塩分多いけど大丈夫か?(有明フェリー
島原鉄道,きっぷは今時珍しい 「硬券」10h50 多比良 (たいら) 港5分遅れで到着,自転車は足が遅いので最後に下船 (10h59)。 島原鉄道 「多比良」 駅前まで自走します(4分)。 自転車を折り畳み輪行袋に収納 (所要10分)。 慢性的な赤字に悩む島原鉄道ですが 「赤字ボールペン」 とか 「赤字穀菜(こくさい)」 とかユニークな物販でヤケクソ気味にアピールしています。

「多比良」 駅定刻発車(11h30)。会社は赤字でも,線路の砂利を入れ替えたりして保線には抜かりナシ,立派です! 島原鉄道の一部の駅では 「硬券」 と呼ばれる今日ではレアな厚紙製の切符が販売されています,ありがたや!ファンの方にとっては素晴らしいお土産になるでしょう
旧・温泉(うんぜん)軽便鉄道 「愛野村」 駅跡「愛野」 駅定刻到着(11h57),駅前で自転車を組み立て (要10分) ライドを開始。 前回,最初の駅 「愛津」 に向かう正しい道を見つけられなかったので今回は GoogleMap の Street View で慎重に予習ストリートビューしてきたので事なきを得ました。 雲仙鉄道の北側半分 : 「愛野」 ~ 「愛津」 ~ 「水晶観音」 ~ 「浜」 ~ 「千々石」 間 (9.5km) は島原鉄道の子会社 「温泉(うんぜん)軽便鉄道」 として大正12(1923)年に開通しました。 「愛野」 駅は当時 「愛野村」 という名前でした。 現在はいろんな道路が出来て賑やかになっていますが,当時は恐らく田んぼの中を線路が一直線に伸びていたのでしょう。
ここで温泉(うんぜん)軽便鉄道が島原半島の基部(西側)を南北に横断するルート選定について解説します。 愛野から千々石に至る現在のメインルート「国道57号線」は雲仙から西北西に延びる溶岩台地の尾根筋を西から上り,最高地点(99m)を越えた後は千々石展望台を過ぎた後は台地の南側斜面を駆け下りて千々石に入ります。右下の地図をご覧下さい。愛野から4%上り勾配
2.4km,千々石に向かって5%下り勾配2kmというなかなかの急勾配ルートです。一昨年道を間違えてこのルートを辿ることになった時,鉄道にこのルートはないなと確信しました。自動車なら難なく登れる坂も鉄道には登れないのです。しかも昔の鉄道はSLです。SLは坂にからきし弱い!
↑ 愛野~千々石のメインルートは溶岩台地の尾根筋を 100m 上り,斜面を駆け下りる急傾斜路 (4% 2.4km + 5% 2.0km),走行ルートが上手く表示されない時はここをクリック
これに対して温泉軽便鉄道の愛野~千々石のルートを見てみましょう。左下の地図をご覧下さい。愛野から南東の千々石へ向かうのに,一旦南西に進んで溶岩台地の西端を迂回して半島基部を横断,南の橘湾海岸に出て台地南側崖下の波打ち際を東進して千々石に入ります。距離はほぼ倍になりますが途中の坂道は小さな丘越え(最高標高33m2%上り&下り1km)がひとつだけ。お金のない弱小私鉄にとってこの遠回りルートだけが一縷(いちる)の望みだったといえるでしょう。
↑ 温泉軽便鉄道の愛野~千々石ルートは溶岩台地西端を大回り迂回,台地の南側,橘湾の波打ち際を東進して千々石に,距離は倍ですが坂はナシ!
旧・温泉(うんぜん)軽便鉄道 「愛津」 駅跡温泉軽便鉄道の起点「愛野村」から1つ目の駅「愛津」駅跡までは約8分,1.9kmです。この区間は廃線跡の面影ほぼナシ。ただ上でルート選定について触れたようにアップダウンを最小限に抑える目的で決められたようで,駅の設置に当たって利用者予測がきちんと行われたのか怪しいところです。

これは次の「水晶観音(愛津から 2.0km)」駅についても同じで,参拝客の足の便のために駅を設けるに足る利用者がはたして見込めたのか?疑問です。

溶岩台地の西端を迂回して漸く島原半島基部を南北に横断し橘湾海岸に達した線路に3番目の「浜(水晶観音から 1.1km)」駅が設けられたのは「愛野村」~「千々石」が開通した大正12(1923)から3年後の大正15(1926)年7月1日,なかなか伸びない乗客誘致の一策として海水浴客を当て込んだ追加開業駅でした。

ちなみに温泉軽便鉄道と小浜地方鉄道を経由して長崎と小浜が鉄道で結ばれる以前,小浜温泉に行くには長崎市中心部から東に山を一つ越えた茂木港から船で橘湾を東西に横切り小浜港に渡るルートが最も一般的だったようです。島原半島の西岸は道路を作るにしても鉄道を通すにしても溶岩台地が海岸ギリギリまで迫り出し平地がきわめて少ないので大変です。この地形は小浜以南も同じ。
浜~千々石間,橘湾の波打ち際を進む長崎県道201号線,温泉軽便鉄道跡から橘湾対岸の小浜を遠望「浜」駅で橘湾の海岸に出た線路は波打ち際を「千々石」に向かって東進します。廃線跡は長崎県道201号線として車両通行可能となっていますが,車は殆ど通りません。天気が良ければ最高のサイクリングロードになります。鉄道は坂に弱いことからこのルートを走らざるを得なかった訳ですが,自然災害対策という観点からはこうした波打ち際の線路というのは台風や高潮で道床が大きなダメージを受けること必至で,もし鉄道が末永く続いていたとすれば災害復旧で金食い虫になっていたことでしょう。短期間で廃線になったのはあるいは幸いだったのかもしれませんね。橘湾対岸の小浜がうっすら見えます。
千々石駅,愛野村から温泉軽便鉄道が千々石まで開通した4年後(1927),千々石~肥前小濱が開通「浜」駅から 4.5km,「千々石」に到着。駅名標で1つ手前の駅名が「唐比浜(カラコハマ)」と表記されているのに注目。「浜」駅所在地の地名は「唐比(カラコ)」といいます。

また千々石の1つ先の駅名が「上千々石(千々石から 1.2km)」と表記されていますが,その「上千々石」駅の駅名標では1つ手前の駅名が「下千々石」と表記されています。謎だ!(笑) いずれにせよこのように立派な駅名標が往年の9駅跡全てに設けられ「鉄道の記憶」が今日も大切にされているのは嬉しいかぎりです!

「愛野村」から「温泉(うんぜん)軽便鉄道」が「千々石(ちぢわ)」まで9.5kmの線路を完成させた4年後の昭和2(1927)年,千々石から南「千々石」~「肥前小濱」間8kmが小浜地方鉄道によって開業されます。

その小浜地方鉄道は江戸時代より代々小浜温泉の管理を島原藩から任され(湯太夫),明治以降も地域振興に貢献してきた小浜の名士本多家第十代当主:本多親宗(ほんだ・ちかむね)氏を中心とする地元財界有志によって大正10(1921)年に設立。難工事の末に「千々石」~「肥前小濱」間を開通させたのです。

小浜温泉の 「小浜歴史資料館火休, 年末年始休)」 は旧本多家住居を活用したもので,存在期間がきわめて短く幻の鉄道的存在の「小浜地方鉄道」関連資料の貴重な資料も多数展示してあります。休館日が今年2021年より昨年までの月休から「火休」に変更されているのでご注意!
千々石~小浜間のルート選定について考察してみましょう。まずは現在のメインルートである国道251号線。左下の地図をご覧下さい。千々石から南東に向かい,富津山塊の東側を迂回するも最高標高地点158mを通過154m上昇/4km(3.9%
144m下降/3.9km(3.7%とやはり坂に強い自動車のためのルート選定となっています。走行距離は7.9km。
↑ 国道251号線のルートは標高158mの峠越えで急坂,距離は7.9km
一方,小浜地方鉄道の千々石~肥前小濱ルートは富津山塊の西側,橘湾川の断崖に緩い勾配の線路を敷くというもの。右下の地図をご覧下さい。千々石から富津山塊の西断崖に緩い勾配の線路を敷設します(最高標高68m)。千々石から1.4%上り勾配4.6km,千々石に向かって1.6%下り勾配3.4kmという緩い勾配ルート,距離も道路とほぼ同じです。これなら自転車でも楽勝でしょう。
↑ 鉄道ルートは海沿い,68mの比較的低い峠越え,距離は8.0kmとほぼ同距離,走行ルートが上手く表示されない時はここをクリック
仮称:千々石第一隧道,長さ約 100m「千々石」~「小浜」間の鉄道建設が如何に難事業であったのかを物語るトンネルが3本残されています。県道に転用された現在も当時の単線鉄道トンネルがそのまま供用されており,軽便鉄道には分不相応とも思われる立派な石巻トンネルの姿を今日にまで伝えています。北から順に 「千々石第二隧道(81m,上千々石駅より南1.3km)」
「千々石第一隧道(186m,上千々石駅より南1.4km)」
「富津隧道(106m,木津の浜駅より南)2.0km」
となります。左の写真は千々石第二隧道を北側から撮影したもので,2019年走行時の記録から流用。

これら3本のトンネル建設は予算を大幅に超過するものであったと思われ,終点の「肥前小浜」駅が小浜温泉の中心街から北2kmと少し離れた場所に設けられた原因も最後の2kmの用地買収と線路建設の資金を使い果たしてしまったからと思われます。線路建設当時の小浜地方鉄道初代社長:本多親宗氏にとって一流の鉄道と遜色ない立派な線路を敷きたいという思いが勝り,最後の2km区間を諦めざるを得なかったというのが真相ではないでしょうか。結果として鉄道は小浜温泉へのアクセス交通として中途半端なものとなり,同鉄道が短命に終わる一因になりましたが,これら3本のトンネルのように立派な構造物を築いたことで廃線後も長く往時の姿を伝えることにもつながったのではないかと私は考えます。実に立派なトンネルです。トンネル・ウォッチャーとしての評価は満点!
旧・木津ノ浜駅跡にあるプラットホーム遺構「千々石」から2つ目となる駅が 「木津の浜(キツノハマ,上千々石より2.4km)」。駅ホームの遺構が残っています(上千々石駅にもホーム遺構が残っていますね)。県道拡幅の妨げにもなりかねないこれが今後も保存されるのか注目したいところですね。木津の浜駅の標高は海抜50m,標高最高地点は駅の南1km地点(68m)。富津山塊東側を通る国道ルートの標高最高地点が158mなのと比べると鉄道ルート建設の苦労が偲ばれます。富津山塊西側が橘湾に落ち込む断崖の斜面を削り,切り通しで山を削り,トンネルで山を越える。いずれも一定の緩い勾配を実現するための努力です。自転車で走る時も先人のご苦労に思いを馳せたいと思います。
鉄道の終着駅から温泉街までの2kmが遠い!「木津の浜」から南1kmの鉄道標高最高地点:68mを越えて,といっても勾配は緩やかで峠を越えたという実感はありませんが,千々石から3つ目の「富津」,そして終着駅の「肥前小浜」に向けて3.4kmの緩い1.6%勾配を下ります。左の写真は肥前小浜駅跡から小浜の温泉街方向に350m南進した場所から小浜の温泉街を撮影。この場所からでも1.7kmあります。やはり駅の立地がなあ…。
小浜市街地に着いたのは午後2時過ぎ。途中であちこち取材したので愛野から2時間が経過してしまいましたが,実質的な走行時間は1時間強といったところ。明日は逆方向に北上しますが北風7mの予報,はたして鉄道の運行ダイヤ(63分)と同じ位の速さで走れるのか?遅めの昼食を 「黒丸カレー(美味!牛スジ肉煮込みカレー)」 で摂り,ホテルにチェックイン。暫し休憩の後,温泉街を散策,昭和の温泉街といった風情は別府や熱海を想起させます。令和の新しい観光に適応すべく奮戦中!といった感じ,頑張れ!
橘湾の夕日,17h10夕日は雲仙市南端の「国崎半島(左)」と橘湾対岸長崎市南部野母崎の「樺島(右)」の間,南西方向に沈みます(17h10 撮影)。

観光オフシーズンの12月上旬,肌寒い夕暮れ時に戸外を歩く観光客はほぼ皆無。あちこちで温泉の噴気だけがシューシューと所在なげに噴き出しています。
冬の夜,人通りの絶えた小浜のメインストリート,細い三日月が静かに街を照らします宿でもらった近隣提携居酒屋の割引クーポンを手に暇を持て余す静かな居酒屋で慎ましい夕餉。

当て込んでいたフランス料理店 「シャトープラージュ」 は臨時休業。冬の閑散期であることに加えてコロナ禍の外出自粛で観光地も飲食店も踏んだり蹴ったりだもんなあ。どうか頑張って生き延びてほしいと思います。

車の通りも疎らな小浜温泉メインストリート,まだ夕方 18h22 でコレです,丑三つ時にはまだ6時間以上もあるというのに…

小浜温泉の泉質は食塩泉でちと好みではないため入浴はパス。シャワーで済ませました。
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