島原半島・天草下島・長島2泊3日自転車行

2019/10/30(水)~11/01(金),直近の週間天気予報で好天が3日間連続することが判明,以前から温めていた自転車旅行を実行に移すことにしました。 
ルート選定に当たっては年齢を考慮し呉々も無理のないよう,1.可能な限りアップダウンの少ない道,2.眺望の良い道,3.安全のため通行量の少ない道,以上3つの条件を満たすものとして,以下のような一筆書き左回りのルートが出来上がりました。 ルート総延長距離は320km,うち自転車走行区間は合わせて159kmとなりました。
移動効率も考慮し一部区間で鉄道 (3区間) とフェリー (3区間) を利用するため,使用機材は 輪行 の容易な折り畳み自転車を使用,車輪の直径が20インチと通常サイズの26インチ車に比べて25%程小さく,脚力が少しだけ余分に必要となりますが,運動量は増えるので良しとしました。 DAHON Mu N360 という20インチ車輪の折り畳み自転車で走ります!
それでは行程をご説明しましょう。
◆ 第1日 : 自宅~(自転車 : 3km)~最寄りのJR鹿児島本線 「植木」 駅 = = (列車輪行) = = 「長洲」 駅
        「長洲」 駅~(自転車 : 2km)~長州港 vvv (フェリー) vvv 多比良港~(自転車 : 1km)~島原鉄道 「多比良」 駅
        「多比良」 駅 = = (列車輪行) = = 「愛野」 駅
        愛野駅前~(自転車,旧小浜鉄道跡 : 20km)~小浜~(自転車,国道251 : 21km)~口之津港
        島原半島・口之津港 vvv (フェリー) vvv 天草下島・鬼池港~(自転車,国道389 : 8km)~通詞島・おっぱい岩
        おっぱい岩~(自転車 : 3km)~通詞島ユメール温泉~(自転車 : 3km)~二江・民宿泊
        第1日自転車走行距離 : 61km
 ◆ 第2日 : 二江~(自転車,国道389 : 6km)~鬼池~(自転車,国道324 : 13km)~本渡
        本渡~(自転車,県道26 : 16km)~新和~(自転車,県道26 : 34km)~牛深・泊
        第2日自転車走行距離 : 69km
 ◆ 第3日 : 宿~(自転車 : 1km)~牛深港 vvv (フェリー) vvv 長島・蔵之元港
        蔵之元港~(自転車,国道389 : 17km)~黒之瀬戸大橋~(自転車 : 8km)~肥薩おれんじ鉄道 「折口」 駅
        「折口」 駅 = = (列車輪行) = = 「八代」 駅 = = (列車輪行) = = 「植木」 駅
        植木駅前~(自転車 : 3km)~自宅
        第3日自転車走行距離 : 29km
さて,苦しいだけの運動では面白くありません。ルート選定条件その2の 「良い眺望」 も無視できない旅の要素です。 第1日は,1.旧温泉(うんぜん)軽便鉄道跡,橘湾,通詞島(おっぱい岩),第2日は不知火海,第3日は牛深ハイヤ大橋,東シナ海あたりの眺めが運動の疲れを癒やしてくれるはずです。 また途中3ケ所で利用するフェリーも普段船と縁のない生活を送る身には新鮮な発見があります。
 ◆ 第1日リポート ◆
第1日朝,6h00AM に自転車で自宅を出発,最寄りのJR九州鹿児島本線 「植木」 駅までは平坦路と下り坂の 3km,楽勝です! 駅前で自転車を折り畳み輪行袋に収納します,所要時間15分。部活の早朝練習に向かう列車通学高校生たちで束の間の賑わいを見せる中,Suica をピッ!とかざして改札を通過,跨線橋の階段を昇降して長洲方面行列車の到着を待ちます。 想定していたより早く輪行準備が調ったので予定の 7h03 より1本早い 6h38 発の列車に乗ることができました

長洲着 7h02,階段を上り橋上駅舎の改札口で再び Suica をかざして (570円) 南口階段を降り自転車を組み立てて (所要10分) 長州港に向け走り始めます。 港そばのローソンで朝食を購入,長州港ターミナル待合室で手早く朝食。 自転車航送料金は 760円也。 08h00 定時出航。 平日朝の便ということで観光客は少なめ。遠浅の有明海航路は干満潮の影響を受けぬよう港湾近隣の浚渫(しゅんせつ)が欠かせません。
有明フェリー
島原鉄道 「多比良(たいら)」 駅で愛野駅列車に輪行すべく自転車を収納,きっぷは今時珍しい 「硬券」8h45 多比良 (たいら) 港到着,定時入港。 島原半島を周回する国道251号を横切り踏切を渡って島原鉄道 「多比良」 駅前で自転車を折り畳み輪行準備 (所要10分)。 島原鉄道は雲仙普賢岳大火砕流発生 (1991) で大きな被害を受け 「島原港」 駅~ 「加津佐」 駅間が 2008年に廃止されましたが,この区間は 1928年に口之津鉄道によって開業,後に 1943年同社は島原鉄道によって吸収合併された経緯があります。多くの地方私鉄で合理化の進む中,島原鉄道で古風な 「硬券」 乗車券が継続販売されているのは印刷済み切符の在庫処分なのでしょうか?でも年を追う毎に更新の可能性のある金額が印刷されているし,真相は何なのか?(島原鉄道

「多比良」 駅には定刻 9h23 発車。通勤通学時間帯を過ぎた昼間の列車 (1両編成) にしては優秀な乗車率でした (4人掛けボックス席に1人…とか)。7つめの 「愛野」 駅で下車 (680円)。 駅前で再び自転車を組み立て輪行開始。 多比良から島原まで輪行,有明海沿いの東海岸を南下するというルート もあるのですが…
旧・温泉(うんぜん)軽便鉄道 「愛野村」 駅跡島原半島西岸ルートを南下することにした理由が,この 「愛野」 駅と小浜温泉を結んでいた旧・温泉(うんぜん)軽便鉄道の存在です。愛野駅舎前(南側)にはその軽便鉄道始発駅 「愛野村」 駅の御影石製駅標が建てられています。まだ道路事情の悪かった大正時代,橘湾を横断して来るしかなかった半島西岸の小浜温泉への観光・湯治客誘致を目論んで地元が出資,1911年,国鉄長崎本線 「諫早」 から東進,半島東岸の島原を目指す島原鉄道が最初の開通区間となる 「諫早」~「愛野村」 を開通させていたため,ここから半島付け根を横断,半島西岸を南下させる軽便鉄道を構想したのです。第一次世界大戦(1914-1918)後,中立の立場を貫いた日本ではありましたが戦後の世界恐慌のあおりを受けて国内にも不況の波が押し寄せ事業は停滞,温泉(うんぜん)軽便鉄道一社で小浜温泉まで一気に結ぶことが難しくなり,北側の 「愛野村」~「千々石」 区間を温泉軽便鉄道,「千々石」~「小浜温泉」 の南側区間を小浜鉄道が別途事業申請して開業を目指し,前者が 1923(大正12)年,後者が 1927(昭和2)年に開業,同 1927年から島原鉄道・温泉軽便鉄道・小浜鉄道が 「諫早」~「小浜温泉」 間で直通列車の運行を開始します。 なお小浜鉄道は同 1927(昭和2)年に社名を雲仙鉄道に変更後,温泉軽便鉄道から 「愛野村」~「千々石」 の路線免許を譲り受けますが,昭和初期の経済恐慌の荒波から観光客は低迷,1938(昭和13)年には全通から僅か11年で廃止のやむなきに至りました。

廃止から80年以上が経過した現在なお軌道敷跡が往時の面影を留め大切にされている背景に鉄路を守れなかった地元住民の愛を感じます。なお往時は1日7往復の列車が運行されていたそうです。諫早から直通運転をしていたことから考えて,雲仙鉄道も国鉄・島原鉄鉄と同じ 1,067mm ゲージ(軌間)を採用,列車は蒸気機関車牽引の客車列車とガソリンカー (気動車) が混在していた模様。 途中駅は,愛野村 (積算 1.7km) 愛津 (同 3.8km) 水晶観音 (4.9km) 浜 (9.3km) 千々石 (10.5km) 上千々石 (12.9km) 木津ノ浜 (15.3km) 富津 (17.3km) 小浜温泉 となります。終着駅 「小浜温泉」 は現在の小浜温泉街中心部 (国道57号分岐) の北 2.4km 地点にあり鉄道で当地を訪れた人にとっては終点から30分近くも歩かされることに…ちょっと微妙な立地も衰退の一因か?
温泉軽便鉄道:愛野駅~千々石駅のルートを航空写真で見る(クリックすると別画面で地図を開きます)
もともと道路に比べて登坂能力の低い鉄道,なかでも上り坂にからきし弱い蒸気機関車牽引客車列車という古い鉄道の線路跡は,こちらも上り坂に弱い自転車の走行路としても重宝する有難いルートになっています。これに比べると同区間を溶岩台地の尾根上を一気に駆け上がる国道57号の無慈悲なこと。(泣) 果てしなく続く上り坂を目の前にすると登坂を諦めて逃げ帰りたくなります。高校生の頃は少なくともチャレンジ精神と体力はあったのに…とほほ。(愛野村駅跡→千々石駅跡 : 9.7km)
千々石から南の小浜鉄道区間ルートは全国各地の古い鉄道の建設実例から類推して比較的簡単に推理できます。また軌道敷跡は長崎県道201号線用地としてほぼ完全に転用されているためアップダウンも最小限,おまけに交通量も非常に少なく自転車でのんびり走るには理想的かもしれません。(千々石駅跡→小浜温泉駅跡 : 8km)
小浜鉄道:千々石駅~小浜温泉駅のルートを航空写真で見る(クリックすると別画面で地図を開きます)
仮称:千々石第一隧道,長さ約 100m鉄道時代の面影を偲ばせる遺構が数多く残る旧・千々石駅跡~旧・小浜温泉駅跡のサイクリングは坂道の少なさ・緩やかさ,トンネルあり橘湾の素晴らしい眺望あり,途中集落のレトロな街並みを身近に感じられる距離感,自転車を安全に走行できる少ない交通量…といった観点から小浜温泉の周辺観光の新たなコンテンツになり得ると確信しました。電動アシスト機構のないごく普通のママチャリで楽に往復できます。

写真のトンネルは旧・千々石駅跡から国道57号を 700m 進み,上石田交差点を右折してすぐの旧・上千々石駅跡から 1.4km 地点にある長さ 100m ほどのトンネルです。 出入口だけでなく内部も全て石組みで巻かれ保線要員向け待避壕を備えた立派な鉄道トンネルで当時の小浜鉄道関係者の方々の高い志を垣間見る思いがします。単線鉄道トンネルの特徴である馬蹄形断面形状をよく留めていますね。 これが道路トンネルだと基本的にトンネル内で行き違いが出来るよう幅広に設計されるため,単線鉄道トンネルに比べるとずんぐりむっくりの半円に近い断面形状となります。 言うまでもないことですが,トンネル内走行の際は必ず前照灯と尾灯を点灯して走行しましょう。 いくら通行量が少ないとはいえ公道走行は道路交通法の規定をしっかり守りましょう。(旧・上千々石駅跡から南に 1.4km,長さ約 100m の仮称:旧・千々石第一隧道,その直ぐ南側には長さ約 200m の仮称:千々石第二隧道もあります)

旧人類の話題で恐縮ですが つげ義春 の 「ねじ式」 で描かれた機関車がこのトンネルあたりから飛び出してきそうな感じがしないでもありません。

先に触れたように愛野村~小浜温泉間 (17.3km) には1日7往復の列車が運行されていたことや途中・終着駅跡の様子から類推すると列車交換 (行き違い) 設備は無かったのではないでしょうか。 隧道や築堤の堅実な造りとは釣り合わない気がしないではありませんが,限られた資金をやり繰りする中で交換設備を断念せざるを得なかったのか?インフラ建設で重要な発展性抜きで建設された軽便鉄道の多くが開通後ほどなく廃線の憂き目を見ています。
旧・木津ノ浜駅跡にあるプラットホーム遺構軌道跡全線を通じて唯一現在も確認できる旧・木津ノ浜駅プラットホーム遺構。 廃線後80年以上経過しているのにこのような形で遺構が現存しているのは奇跡に近いことかもしれません。

ちなみに県道201号線のこの区間には一日4往復程度の路線バスも走っている模様。 バス停の時刻表で見ただけなので車体の大きさまでは分かりませんが地元の皆さんにとっては鉄道がバスに変わっただけでいつもの生活道路といった感じなんでしょうね。
加津佐道路公園から口之津,天草鬼池方面を見る小浜から半島を西回りで南下,加津佐を経て口之津港に至るルートは国道251を利用します。一応中央線のある二車線道路ではありますが,路側帯の幅はお世辞にも広いとは言えず,自転車走行時後方から接近する車両には常に注意が必要です。でもあまり左端に寄り過ぎるとパンクのリスクが増えるので悩ましいところ。

右の写真は加津佐の手前,加津佐道路公園から口之津,天草鬼池方面を 13h49 に撮影したものですが,この日の干潮が 15h00 と近付いていたのでかなり潮が引いてきています。 綺麗な海をずっと眺めながら走れるルートはお薦めです。アップダウンに関しては小浜から 8.7km 南の雲仙市立南串中学校前までは平坦路ですが,そこから 800m で 40m 上る急坂が,加津佐~口之津の間に 400m で 20m 上る坂があります。 予め上り坂の位置と長さが判っていれば上り坂は自転車押して歩くことにして時間の計算が出来るので便利です!(小浜→口之津港 : 22.1km)
国道251号線 : 小浜~南串山~加津佐~口之津港走行ルートを航空写真で見る (クリックすると別画面で地図を開きます) 
小径車はやはりスピードが出ないので時間がかかります。小浜から口之津港までの 22.1km に1時間46分を要しました。 さあ次は口之津港発 15h00 のフェリーで天草下島東北端の鬼池港に渡ります。 所要30分,670円 (島鉄フェリー
口之津 15h00 発のフェリーで天草下島の鬼池港に向かいますフェリーの島原側港となる 「口之津」 は地図を見ても明らかなように外海からの波風を完璧に防御してくれる天然の良港で,江戸時代以前既に南蛮貿易の拠点として栄え,キリスト教伝来時には宣教師たちの活動拠点の一つとなりました。近代以降も明治期に大牟田三井炭鉱が拓かれると産出した石炭を北九州の官営八幡製鉄所に送る大量輸送ルートの中継地点として多くの石炭輸送船で賑わったそうです。また近年では島原半島と天草下島の間の海峡地域 (通詞島沖) に生息するハンドウイルカを観るイルカウォッチング観光が盛んです。 私は 1995年,イルカウォッチングが始まったばかりの頃に天草の通詞島から漁師さんの副業乗り合い遊漁船でイルカを見に行きましたが,海峡の潮流の速さに驚きました。 奥に有明海という広大な内海が控えているからでしょうか,潮の干満で狭い海峡を行き来する海水の量が多いため海流が速くなるのだとか。 天草下島の鬼池港はほんの目と鼻の先に見えますが操船は簡単ではないようです。 左の写真は口之津出港直後,湾内で撮影。
干潮時刻の前後各1時間半,合わせて3時間だけ海面から姿を現す 「おっぱい岩」海峡中央で同時刻に鬼池港を出た僚船とすれ違います。 水路は右側通行なので僚船は左側を通過。 旅行する時の天気は旅の印象を左右することもある重要な要素ですが,自転車旅にとって暑すぎず寒すぎず (季節) 強風とは無縁の晴天に恵まれるというチャンスはそうそうあるものではありません。今日の気温は 11℃~23℃,自転車を漕いでいると汗もかきますが湿度が低いので肌にまとわりつくことなく直ぐに蒸発していきます。 5月終わりに上五島を走った時は最高気温が 30℃を越えそうで湿度も高く,早朝 5h00 日の出と共に出走 8h00 過ぎ迄の3時間で 30km を走った時は滝のような汗をかきフェリーを待つ間に着替えを余儀なくされたのとは大違いです。11月の好天日というのは案外サイクリング日和なのかもしれませんね。

鬼池港から国道389号を西進し通詞島の二江集落の西に,干潮の時だけ姿を現す 「おっぱい岩」 という海食岩があり,この日の到着時がちょうど 「ご開帳時間帯(笑)」 だったので拝ませて頂きました。おっぱい岩(地元観光協会による解説,干満潮カレンダーあり)  鬼池からここまでは平坦路 8.2km,高低差 10m 以内の平坦路ですが1日のライドの終盤ゆえちょいキツめ。
おっぱい岩にさわって元気を頂戴した後(笑),近隣の通詞島にある公共温泉施設ユメール (火休,500円,0969-26-4011) で夕日を眺めながら甘美な入浴タイムを過ごし,ヨロヨロドッコイショと宿に辿り着きました。
国道381号線 : 鬼池港~通詞島 (おっぱい岩) の走行ルートを航空写真で見る (クリックすると別画面で地図を開きます) 
本日の宿はイルカウォッチングの基地となっている通詞島地区,二江 (ふたえ) 集落にある 「天草民宿竹内」
本日の自転車走行距離 61km,あー疲れた。 
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 島原・天草・長島へのアクセス まとめ
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