2021/10/24(日),八代市~氷川町~宇城市にかけて広がる八代干拓の堤防道路 43km を自転車でひた走りました。 | |||||||||||
コロナ禍による長かった行動制限がようやく解けたこの10月,ステイホームの運動不足でなまった身体にムチをいれるべく,まずは無理のない平坦路からと走り始めた干拓地自転車散歩三部作の最後は熊本の干拓地の元祖
「八代干拓海岸線紀行」 です。 往路は自宅最寄りの JR 鹿児島本線 「植木」 ~ 「八代」 を鉄道輪行 (950円)。 八代駅前から干拓地の海岸線を 43km ひたすら北上し5駅北の松橋駅前へ。 復路は 「松橋」 ~ 「植木」 を鉄道輪行 (570円) という日帰り旅です。 このところ短い周期で天気が変わり予約を伴う旅は計画を立て辛いので日帰り旅にした次第。 安上がりな点も魅力的です。 |
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朝が寒かったのと,帰りに植木駅で下車してから最後の上り坂を自転車で走るのが億劫に思われたので,自宅~植木駅前は車に自転車を積み植木駅前のコインパーキングに駐車することにして出かけたのですが,いつもは空いている駐車場 (5台分) が例外的に埋まり最後の1コマになんとか滑り込めたのにはヒヤヒヤしました。 列車も日曜の朝にしては結構な混み具合で,3駅目の上熊本でようやく着席。 定刻 9h25 八代到着(エレベーター昇降で改札を出るまで5分)。 駅前で自転車を組み立てて 9h45 スタート! | |||||||||||
◎ 第一区間 : 八代駅前~前川右岸堤防道路~ゆめタウン八代前~大島入口 (9.2km)
↑ 八代駅前~前川右岸堤防道路~ゆめタウン八代前~大島入口 (9.2km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック 地方中小都市の例に漏れず八代も中心市街地の空洞化が進みかつての繁華街には閑古鳥が鳴き人 (車) の流れは郊外のショッピングモールに向かいます。 平成の市町村大合併を経ても人口は12万人強! しかも高齢化はすすむ一方。 なかなか明るい未来は見えてきません。 今日自転車で走る干拓地のことを少しお話ししましょう。 「埋立地」 が面積全般に土砂礫を敷き詰めるのに対して 「干拓地」 で土砂礫を投入するのは周囲の細長い堤防の部分だけです。 したがって条件さえ整えば干拓地は埋立地より造成し易いとも考えられます。 大規模な重機のなかった江戸時代初期から干拓が可能だった理由はこれでしょう。 まあそれでも当時としては非常に大掛かりな土木工事だったはずですが。 熊本県が一般向けに作成した八代干拓の資料によると(PDF 5MB) 八代の平地の2/3は干拓によって造成された土地なんだそうです。 九州新幹線のルートも八代周辺はみな干拓地の上だし,一般道で平らな土地なのに不自然にカーブしている道路は拡張工事によって不要となったかつての干拓堤防,つまりありし日の海岸線の痕跡です。 干拓地の主な用途は水田をはじめとする農地なので,干拓地がこれからも拡張され続ける可能性は限りなく低いと思われますが,本来の海岸線から沖に向かって10km近くも伸びた海岸線を人の手が作り出したことは永遠に記憶に留める必要があるでしょう。 |
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◎ 第二区間 「郡築(ぐんちく)新地」 : 大島入口~水無川・産島橋(県道322号) (3.9km) ↑ 「郡築新地」 大島入口~水無川・産島橋 (県道322号) (3.9km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「郡築新地」 と呼ばれる干拓地で明治37(1904)年の造成です。 干拓地の堤防は万が一にも決壊してはマズイので定期的に堤防下地盤をボーリング調査して不具合のないことを確認,必要に応じて保守・補強を施すため堤防上の道路もあちこちで通行止め・迂回を強いられます。 |
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◎ 第三区間 「昭和干拓地」 : 水無川・産島橋~大鞘川・新大鞘樋門橋 (県道322号) (3.5km) ↑ 「昭和干拓地」 水無川・産島橋~大鞘川・新大鞘樋門橋 (県道322号) (3.5km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「昭和干拓地」 という地名ですが造成は大正11(1922)年。 昭和同仁排水機場(ポンプ)のところで補強工事のため堤防道路の一部が通行止めとなり迂回したのですが自転車は軽いのでノープロブレム! 干拓地の景色は予想以上に単調であまり動画向きではないのですがまあこんな感じですわ。 この区間の走行動画はこちらです (↓) : 八代「昭和干拓」自転車散歩 17'17"。 |
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↑ 動画がうまく再生されない場合は、このリンクをクリック! | |||||||||||
◎ 第四区間 「文政干拓地」 : 大鞘川・新大鞘樋門橋~鏡川・横江大橋(県道338号) (6.3km) ↑ 「文政干拓地」 大鞘川・新大鞘樋門橋~鏡川・横江橋 (県道338号) (6.3km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「文政干拓地」 と呼ばれ,大正15(1926)年の造成です。 堤防内部に広大な汽水調整湖があり牡蠣の養殖が行われています。 冬期限定営業の牡蠣小屋 「鏡オイスターハウス」 も人気です! 下の写真は干拓地北端 「ふれあい海岸」 から不知火海越しに対岸の宇土半島西部 「三角(みすみ)」 方向を撮影したもので,背後にうっすら有明海対岸の雲仙が顔を覗かせています。 |
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◎ 第五区間 「野崎新地」 : 鏡川・横江大橋~氷川・氷川大橋(県道338号) (5.2km) ↑ 「野崎新地」 鏡川・横江大橋~氷川・氷川大橋 (県道338号) (5.2km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「野崎新地」 と呼ばれ,江戸時代末期の慶応2(1866)年に造成された干拓地です。 現在の堤防はコンクリート製ですがこれは勿論後世の改築補強によるものでオリジナルの堤防は石垣造りでした。 干拓地の農作物といえば「水稲」が定番ですがここ八代の干拓地では畳表の原料となる「藺草(いぐさ)」の栽培も盛んです。 日本の藺草の97%が八代産だとか。 スゴイ! 今はトマトの栽培も盛んですね。 |
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◎ 第六区間 「不知火(しらぬい)干拓」 : 氷川・氷川大橋~砂川・砂川大橋(県道338号) (8.3km) ↑ 「不知火干拓」 氷川・氷川大橋~砂川・砂川大橋 (県道338号) (8.3km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「不知火干拓」 と呼ばれ,八代の干拓地 (この干拓地は八代市ではなく八代郡氷川町) の中で最も新しく最も広大です。昭和42(1967)年の造成。 最新といっても今から半世紀以上前か…今やコメ余りだからなぁ。 ひたすら広く堤防もなかなか末端に辿り着けません。 申し訳ないけどこの日走った中でいちばん退屈でした。短いサイクルで変化することの多い日本の風景にあってこの単調さにはいささか調子が狂います。 |
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◎ 第七区間 「砂川新開」 : 砂川・砂川大橋~五丁川・五丁川樋門 (1.0km) ↑ 「砂川新開」 砂川・砂川大橋~五丁川・五丁川樋門 (1.0km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この区間は 「砂川新開」 と呼ばれ江戸時代末期の安政1(1854)年の造成,耕作地の区割りも新しい干拓地に比べて小さい様子が航空写真から見てとれます。 堤防・樋門ともに老朽化が激しく補修工事が進行中。 インフラの保守は大変だ! 堤防が補強嵩上げされたためかオーシャンビューが芳しくないのですが一応走行動画を上げておきますね(↓) : 「砂川新開」自転車散歩 3'17"。 |
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◎ 第八区間 「松橋(まつばせ)新開」 : 五丁川・五丁川樋門~大野川橋 (1.9km) ↑ 「松橋新開」 五丁川・五丁川樋門~大野川橋 (1.9km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック この日の自転車散歩,最後となる干拓地は 「松橋新開」 と呼ばれる江戸時代末期の天保13(1842)年に造成された土地。 ゴールの松橋駅前まであとわずか! |
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◎ 第九区間 : 大野川橋~松橋駅前 (3.2km) ↑ 大野川橋~松橋駅前 (3.2km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック 8つの干拓地を縦走し自転車散歩の終点「松橋駅」まであと僅か! 頑張れニッポン!。42.5km,なんとか完走しました。 所要時間は3時間50分。 でもこの日一番の驚きは橋上駅に改修され宇城 「市」 の玄関口に相応しい姿になった 「松橋駅」 だったかもしれません。 すごい,エレベーターの付いとるバイ! |
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帰りの列車までまだ時間があるので,かねてから一度行ってみたかったカレー屋さんで腹ごしらえ : 「スパイスカレーこもく商店」,駅から北に400mという便利な立地です。 | |||||||||||
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