2022/09/30(金),熊本県八代市の八代干拓南部を自転車で走りました。 日奈久温泉駅前で自転車を組み立てライドを開始。 |
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10h09 arr. 日奈久温泉 偶々駅待合室に集った地元老人会の皆さんから質問攻めの温かい歓迎を受ける中ライドを開始します。 - 00.0km 10h31 dep. 日奈久温泉駅前 - 00.6km 11h33 arr. 芦北干拓 (昭和42=1967年造成) - 03.2km 11h04 arr. 明治新田 (明治37=1904年造成)〃 ※ 潮受け堤防工事中につき東側へ迂回,水島新地との境界を北上 = 07.9km 11h05 arr. 「水島」 国指定名勝 ※ 景行天皇行幸の地,水神を祀る龍神社に参拝 - 07.9km 11h28 dep. 水島 - 09.4km 11h33 arr. 金剛橋で球磨川の左岸から右岸へ渡る ※ 「三江湖新地」 造成 (安政2=1855年) 以前は独立した下だった 「小鼠倉(こそそう)」、「大鼠蔵(おおそぞう)」 南岸を西進 - 11.1km 11h38 arr. 金剛干拓 (昭和28=1953年造成) - 14.2km 11h55 arr. もう一つの 「龍神社」 に参拝 - 19.2km 12h16 arr. 南川橋で南川 (球磨川分岐) を渡る - 19.7km 12h19 arr. 麦島村新地 (寛政1=1789年造成) - 20.7km 12h22 arr. 八代大橋で前川 (球磨川分岐) を渡る ※ 前川右岸を遡上 = 24.5km 12h48 arr. 八代駅前 ゴール! |
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2022/09/30(金)8h40,自宅を車で出発。 最寄駅 「植木」 駅前コインパーキングは淡い期待も空しく 「満車」! 仕方なく八代駅前まで車を走らせます。
やはり駐車枠5台という小規模パーキングを当てにできるのは 7h00AM より前の早朝オンリーの覚悟が必要。 9h40 九州自動車道は渋滞もなく予定通り八代駅前に到着。 駅前コインパーキングに滑り込み (100円/1時間),自転車を車から降ろして輪行袋に詰めます。 肥薩おれんじ鉄道の八代駅 (JR八代駅入口から東に 50m) で2駅先の 「日奈久温泉」 までの切符を購入して (350円) 9h57 八代始発の列車に乗り込みます。 10h09 日奈久温泉駅に定刻到着。 日中は上下両方向とも概ね毎時1本の列車ダイヤなのでこの列車に乗り遅れると1時間待ちぼうけを食らうところでした。 |
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駅待合室では地元老人会の例会が開催中でした。 駅から歩いて数分という日奈久温泉の玄関駅として多くの観光客を迎えてきた駅が第三セクターのローカル駅となり広い待合室が手持ち無沙汰になったからこそ実現した活用法なのでしょうが,駅前に駐車場もあるし段差もないしお年寄りに優しい駅だと思います。 駅前で自転車を組み立てていると散会した爺婆が興味津々で話しかけてきます。 今日の走行ルートを説明していると下調べ不足だった干拓地名の読み方を教えて下さいました : 三江湖 (ミツエゴ) 地元民以外にはまず読めない地名ですね。 10h31 日奈久温泉駅前を出発! 駅前の国道3号線を南に 600m 走り最初の信号を右折して 「芦北干拓 (昭和42=1967年造成)」 へ。 日奈久漁港を左に見ながら潮受け堤防上の道を進み 「明治新田 (明治37=1904年造成)」 へ。 ところが区域南端の 「流藻川排水機場」 より北の潮受け堤防が保守工事中で予定していた潮受け堤防道路を走ることができず,東側の 「水島新地 (天保14=1843年造成)」 寄りの道を北上。 「水島町」 でようやく潮受け堤防上に出て 「龍神社」 まで左手に海を見ながら進みます。 11h05 到着。 この日八代港の昼間の満潮時刻は 11h00。 折からの満潮で 「龍神社」 と 「水島」 は 「水島新地 (天保14=1843年造成)」 北縁の陸地と陸続きになっておらず 「島の状態で」 眺めることができました。 この景色を求めて満潮時刻に合わせた旅程を組んだ甲斐がありました! |
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↑日奈久温泉駅 → 芦北干拓 → 流藻川排水機場 → 水島町 → 水島・龍神社 (7.8km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック | |
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「水島」 が歴史に登場するのは4世紀のこと。日本書紀に著されている第12代景行天皇の熊襲征伐の行。船で不知火海を移動されていた天皇が休憩でこの小島に立ち寄られた折に水を所望され,従者が天に祈ったところ島から清水が湧き出た由。万葉集にこの行幸について二首残されています。 ・ 聞きしごと まこと尊く 貴しくも 神さびをるか これの水島 ・ 葦北の 野坂の浦ゆ 舟出して 水島に行かむ 浪立つなゆめ このように由緒ある土地ゆえ天保14(1843)年,南隣の水島新地の干拓造成の折に 「由緒ある場所だから干拓地に取り込まず "島" のかたちで残した方が良いのではないか」 と建議され (国学者和田厳足) 今日に 「島」 の姿を伝えることに!和田,Good Job! |
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↑水島・龍神社 → 金剛橋(球磨川) → 三江湖新地 → 金剛干拓 → 龍神社 → 南川橋(南川) → 麦島村新地 → 八代大橋(前川) → 八代駅前 (16.9km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック | |
水島の龍神社に参拝し,球磨川対岸に見える 「元々は島だった "大鼠蔵(おおそぞう:alt.48m)" や "小鼠蔵(こそぞう:alt.35.6m)"」 のある 「三江湖(みつえご)新地」 目指して球磨川左岸に自転車を走らせます (11h28 出発)。 1.5km 上流の 「金剛橋」 で球磨川を渡り,今度は右岸を下ると右前方に 「小鼠蔵(こそぞう)」 次いで 「大鼠蔵(おおそぞう)」 の小山が現れます。干拓地によくある風景に 「平野の中に忽然と現れる小山」 があるのですが,これらの山は十中八九が 「元は島」 だったところです。 遠浅だった海が干拓で陸地になったため島が小山になったという訳。「大鼠蔵」 の麓を通り抜けると,八代干拓地の中でも最後発に近い 「金剛干拓(昭和28=1953年造成)」 が目の前に拡がります。 なにしろ八代平野の三分の二の土地は干拓によって新たに陸地となった遠浅の海の干拓地が占めています。 上り坂の苦手な自転車にとってはなによりも有難い平坦路がどこまでも続く干拓地ですが,大規模な干拓地になるほど潮受け堤防が嵩上げされオーシャンビューが縁遠くなりがちなのが難点か。 11h55 もう一つの 「龍神社」 に到着。水島から 6.3km を27分で走ったことになります。こちらの龍神社は水島の龍神社とは比べるべくもない新しい神社なのでサクっと参拝してすぐに出発 (11h57)。 |
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![]() さっき金剛橋を渡って左に曲がらず真っ直ぐ進むと 1km たらずでこの南川橋に至るところを,金剛干拓外周をぐるっと 回って 9.4km!まあ平坦路だから別に文句はありませんが少し飽きてきた。 龍神社,西に向けて撮影。 12h48,出発から2時間17分で 24.5km を走破しゴールの八代駅前に到着。 まだまだ真夏の日差しに焼かれて,汗は蒸発し,顔中が塩でザラザラしています。(笑) 干拓地の水田は黄金色に実る稲穂が頭を垂れ秋色一色でしたが,米余りのこのご時世ですから干拓地はところどころに耕作放棄地も見られます。ところによっては今流の太陽光発電パネルの並ぶ光景も…。 血と涙と汗で新たな大地を干拓で生み出したご先祖様方は現在のこの光景をどのようにご覧になるのでしょうか? まあ余計なお世話か。 |
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水島と八代干拓自転車散歩 (水島~金剛橋~三江湖新地~金剛干拓) (動画 7'24") | |
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動画中,次の地名の表記と読み方に誤りがありましたので訂正させて頂きます。 ・ 大鼠蔵 (おおそぞう) ・ 小鼠蔵 (こそぞう) |
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copyright 2022 shoichiro toyama, all rights reserved, last modified 2022/10/05. |