2022/10/21(金),昨年走った横島干拓 を再びを自転車で走りました。 全国旅行支援が始まり全国の「観光地」はどこも人,人,人で溢れ返っている状況ですが,混雑を嫌う偏屈王はどう考えても観光とは無縁の干拓地をひとり走ります。 過去ログを見返してみると毎年走っているのは気温が下がりあまり汗をかかずに走れる10月中旬~12月上旬にかけてが多いですね。 今回も昨年同様JR鹿児島本線 「肥後伊倉」 駅前で自転車を組み立てライドを開始。 「植木」 駅もそうですが肥後伊倉駅も上下線ホームを行き来するのにエレベーターがなく跨線橋を歩いて渡るしかありません。 利用客数が設置基準を満たすほど多くないから難しいのでしょうが,将来の需要増加のための先行投資と考えてエレベーターが無理ならスロープ迂回路くらいは設置してもらえないでしょうか。 |
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09h53 arr. JR鹿児島本線 「肥後伊倉」 駅 改札口方上り線ホームに到着 (from 「植木」) 自転車組立 - 00.0km 10h01 dep. 肥後伊倉駅前 - 02.4km 10h08 arr. 県道1号線に合流 - 04.8km 10h16 arr. 国道501号線に合流 - 07.0km 10h20 arr. 右折して県道327号 大浜小浜線を西進 - 08.0km 10h23 arr. 唐人川樋門 (これより横島干拓) - 12.2km 10h42 arr. 横島漁港東 (樋門工事のためこの先 3.5km 迂回) - 15.7km 11h00 arr. 横島漁港西 - 16.7km 11.35 dep. 大浜漁港 (動画撮影開始) - 19.4km 11h45 arr. 末広開(すえひろびらき)堤防西端 (動画終了) - 22.8km 11h56 arr. 国道501号新大浜橋東下 - 24.2km 12h01 arr. 古民家カフェ 「久吉丸」 (菊池川舟運の回船問屋だった建物をリノベしたカフェ) 昼食 - 24.2km 13h09 dep. 「久吉丸」 - 24.7km 13h12 arr. 県道113号大浜橋西 (菊池川右岸に移動) - 27.4km 13h22 arr. 小島橋北を左折,玉名駅方面に進む - 27.7km 13h25 arr. 玉名駅南,スロープ歩道橋で鹿児島本線を跨ぎ玉名駅前へ = 27.9km 13h30 arr. 玉名駅前 自転車折畳み 13h51 dep. JR鹿児島本線 「玉名」 駅 (to 「植木」) |
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2022/10/21(金)8h56,自宅を自転車で出発。 最寄駅 「植木」 に向かいます。 9h08 植木駅前に到着,自転車を折り畳んで輪行袋に詰めます。 急げば (上り列車に乗るには跨線橋を渡る必要があり焦ると転んだりして危ないので断念) 1本前の列車に間に合う時刻だったのですがこれを見送り予定通り 09h41 発上り列車玉名行に乗車。 (280円)。 9h53 肥後伊倉駅到着。 上り列車発着ホームは改札口側なので問題なし。 植木駅と並び肥後伊倉駅も跨線橋にエレベーターはナシ。 利用者が少ないから設備投資できないという判断なのでしょうが,不便だから利用者が伸び悩むというのも事実だと思います。 |
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![]() 今日では玉名市南部の干拓地を一括りにして 「横島干拓」 と呼んでいますが,その始まりはなんと14世紀! その後,江戸時代肥後藩の加藤/細川による干拓事業そして明治,大正,昭和と続く干拓で耕地は沖合に拡張され,現在の輪郭海岸線となる 「横島干拓」 事業の完成が昭和50(=1975)年!600年以上もかけて造成が続けられた土地なのです。 玉名市のホームページ にこれら干拓事業の歴史が詳しく解説されています。 決して観光向きの派手な歴史遺産ではありませんが,干拓地を実際に訪れた後に高い場所から全体を俯瞰してみるとその広さととてつもない労力を実感することができます。 下の写真は後日干拓地東側にある 丘の上(alt. 212m) から西を望むと雲仙や有明海を背景に横島干拓の全景を見渡すことができます(↓)。 |
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↑肥後伊倉駅前 → 唐人川樋門 → 横島漁港 → 大浜漁港 → 古民家カフェ「久吉丸」 → 玉名駅前 (27.9km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック | ||||||||||||
県道1号線に合流し (2.4km) 「横島山(alt. 55.5m)」 を右前方に見ながら南下すると,左手から伸びる山の尾根筋を切り通しで切り開いたところを通過します。 横島山はこの辺りが干拓される以前は遠浅の海に浮かぶ文字通りの 「島」 でした!そして左手の半島と横島山の間を流れる 「唐人川」,この川が実は加藤清正が川筋を現在の西寄りに付け替える以前は 「菊池川」 だったという驚きの事実! 清正はこうして菊池川の水量を減らした上で当時遠浅の海に浮かんでいた 「横島」 と東側の岬 「久島山」 との間に難工事の末に堤防を築いて干拓地造成の第一歩を印したということです (慶長10=1606年)。 下の写真で左側の横島と右側の久島山との間がその堤防の跡。 堤防(塘=とも)には樋門(ひもん)という水量調節用の水門(↓ 2番目の写真)が設けられました。 | ||||||||||||
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![]() 昨年はこの辺りの堤防が工事中で内陸部に回り道を強いられていたのですが,今年は南側の横島漁港の東あたりまでは進むことができました。 ただし横島漁港東側の堤防が工事で通行止めとなっており,結果として今年も3kmほど内陸部に回り道をすることに! 干拓地外周の潮受堤防は万が一にも壊れてはいけない構造物なので年間を通して「どこか」補修・補強工事が行われています。ですから干拓地の外周を一度でコンプリートするのはまず不可能と心得ておいた方がよいでしょう。 写真は大浜漁港西から有明海越しに雲仙を望む。 |
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回り道をして横島漁港西側を経て南側堤防を西進。 大浜漁港の手前から動画撮影を開始。菊池川(現行)左岸河口を北上,末広開(すえひろ・びらき)石垣西端(動画ここまで)を越え,国道501号下を潜り抜け
「大浜」 集落へ。 ここは干拓が始まる前の海岸で,上流の菊地や山鹿から米を積んで菊池川を下ってきた船が回船(海船)に積荷を積み替える中継港として栄えたそうで,回船問屋の一つだった古民家を改装したカフェ 「久吉丸」 で一休みすることにしました。 15台ほどの駐車スペースがあります。 |
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一休みした後はゴールの玉名駅前を目指して(3.7km) 今度は菊池川の右岸に渡って川沿いを遡上。 玉名駅南でスロープ歩道橋で鹿児島本線を跨いで駅前で自転車を折り畳んで返りの列車で帰宅。玉名発 13h51,植木着 14h07。 | ||||||||||||
干潮の横島干拓,菊池川左岸河口自転車散歩 (動画 10'07") | ||||||||||||
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