進撃の…旧玉名干拓石垣散歩

先週走った横島干拓内陸部を東西に貫く 「旧玉名干拓潮受堤防石垣」 を訪ねました 6.5km + 9.1km + 8.5km = 24.1km
2022/10/28(金),先週走った横島干拓 の内陸部を東西に貫く 「旧玉名干拓の潮受堤防石垣」 を自転車で訪ねました。
先週のライドで撮影した動画ラストで右手に延々と続く壮観な石垣を眺め,帰宅してからあらためてこの石垣について調べてみると,横島干拓の壮大な歴史が見えてきました!

その始まりはなんと14世紀!にまで遡り,江戸時代はじめに加藤清正が菊池川の流れを変え,肥後藩:加藤・細川両家が菊池川河口部の遠浅の海に潮止堤防を築いて干拓地を造成。 侍の世が終わり明治になってからも旧肥後藩で干拓地管理を託された有力家臣たちをルーツとする地元の地主連合によって干拓地造成が加速,今日石垣が連なる(東から順に) 「大豊開(だいほう・びらき)」/「明豊開(めいほう・びらき)」/「明丑開(めいちゅう・びらき)」/「末広開(すえひろ・びらき)」 各干拓地の潮受堤防が干拓地外周を形作る新たな耕地が誕生します。

海面より標高の低い(昔は海底だった土地なので)干拓地にとって外周をがっちり固めて海水から守る潮受堤防の保全は至上命題ですが,万全の備えで築いたはずの潮受堤防でも自然の脅威の前にはたびたび決壊し,明治期に造成されたここ旧玉名干拓の石垣堤防も大正から昭和はじめにかけて台風による高潮で何度も決壊し大きな浸水被害を経験しています。

決壊のたびに堤防は補修・強化され要塞化していき,第二次世界大戦後沖合に拡張された(昭和21~50年)横島干拓の完成後もかつての海岸線だったこの東西5.2kmに及ぶ長大な石垣は取り壊されることなく往時の偉容を今日に伝えています。 石垣に沿って自転車を走らせても優に30分を要する規模の大きさですが 高台 から石垣の全容を俯瞰するとその壮大さは一層際立ちます!
写真下部を左右に流れるのは干拓地西側を形作る唐人川。 そこから画面上方の有明海に向かって帯状の木立が何度か左右に屈折を繰り返しながら伸びている様子が見えます。有明海対岸は多良岳。

この木立は旧玉名干拓を形作る4つの区域(「開=開拓地つまり干拓地の意)の潮受堤防に植えられた木々で総延長5.2kmに達する壮大なもの。

これほど大規模な干拓遺構は国内に例がなく,保存状態も良好なことから平成22(2010)年に国の重要文化財に指定されました。

決して派手な文化遺産ではありませんが,マラソンやサイクリングといったイベントを通じてアピールしたり,玉名地域のカルチャーツーリズムを主催したりして住民と観光客双方に向けて広く周知したいところです。 石垣の説明看板と一緒に 「この干拓地が主生産地となっているイチゴとトマトの生産量で玉名市が全国2位となっていること」 を告知すれば,現地以外でも干拓地由来の農産物の売り上げに結び付くことが期待できるでしょう。
10h47 arr. JR鹿児島本線 「肥後伊倉」 駅 改札口方上り線ホームに到着 (from 「植木」)
自転車組立
- 00.0km 11h01 dep. 肥後伊倉駅前
- 02.4km 11h08 arr. 県道1号線に合流
- 04.8km 11h16 arr. 国道501号線に合流
- 07.0km 11h20 arr. 右折して県道327号 大浜小浜線を西進
- 08.0km 11h23 arr. 唐人川樋門 (これより横島干拓)
- 09.2km 11h26 arr. 「大豊開」 潮受堤防石垣東端 (動画撮影開始)
- 11.6km 11h35 arr. 「明豊開」 堤防石垣西端
- 12.4km 11h37 dep. 港いこいパーク (横島漁港旧港跡)
- 13.0km 11h40 arr. 「明丑開」 堤防石垣東端
- 14.4km 11h45 arr. 「末広開樋門」
- 15.7km 11h50 arr. 「末広開」 堤防石垣西端 (動画終了)
- 19.0km 12h05 arr. 国道501号新大浜橋東下
- 21.0km 12h15 arr. 県道113号大浜橋西 (菊池川右岸に移動)
- 23.6km 12h30 arr. 小島橋北を左折,玉名駅方面に進む
- 23.9km 12h35 arr. 玉名駅南,スロープ歩道橋で鹿児島本線を跨ぎ玉名駅前へ
= 24.1km 12h40 arr. 玉名駅前
自転車折畳み
13h20 dep. JR鹿児島本線 「玉名」 駅 (to 「植木」)
2022/10/28(金) 10h00,自宅を自転車で出発。 最寄駅 「植木」 に向かいます。
10h09 植木駅前に到着,自転車を折り畳んで輪行袋に詰めます。 10h31 発上り列車銀水行に乗車。 (280円)。
10h47 肥後伊倉駅到着。
↑ 「唐人川」 樋門。 この川筋が菊池川の元の流れだったことは恥ずかしながら今年になって初めて知りました。 加藤清正が現在の西寄りに流れを付け替え,川の流量を絞った上で 「横島」 に塘(とも=堤防)を築いたのが横島干拓の最初だった由。 この潮止め堤防建設工事は困難を極めたそうで完成までになんと17年を要したそうです(天正17=1589~慶長10=1605)。

↓ 「横島山」 の中腹(新九郎坂)から東側の 「久島山」 を望むの図。 ここに加藤清正は17年の歳月をかけ何度も失敗を繰り返しながら石塘(潮止め堤防)を築きました。 堤防から陸側の滞水域面積が大きく潮汐で移動する海水の量が多かったことが堤防崩壊の原因と考えられます。 今日でも難工事の予想される大工事を重機の無い時代に完成させた清正の知識と意思の強さには畏敬の念を禁じ得ません!
↑大豊聞石垣東端 → 港いこいパーク → 末広開樋門 → 末広開石垣西端 (6.5km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック
これらの石垣が海岸線だった頃の横島漁港旧港をぐるっと回り再び石垣に沿って西進。 明丑開と末広開との間に設けられた 「末広開樋門(調整水門)」 ↓ を見学して末広開の石垣西端まで 5.2km の石垣散歩を無事終了。 経験値の積み重ねである近代土木技術の石垣は中世築城技術の継承が無ければこれほどの発展を遂げることはなかったでしょう。
末広開の西端からゴールの玉名駅前までは先週と同じルートを走って 12h40 に到着。 一休みしてから 13h20 玉名発上りに乗り植木着 13h35。 14h00 過ぎには帰宅できました。
進撃の…旧玉名干拓石垣散歩 (動画 7'31")                       
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