年の瀬の 2021/12/23(木)昼,旧鹿本鉄道廃線跡のうち 「分田(ぶんだ)」~「来民(くたみ)」 を自転車で走りました(1.6km)。 |
JR九州,鹿児島本線の 「植木」 駅から分岐して県北の 「山鹿」 に至る全長 20.3km の軽便鉄道がかつて走っていました。「鹿本鉄道(かもとてつどう)」 といいます。会社の設立は大正4(1915)年。後に 「山鹿温泉鉄道(やまがおんせんてつどう)」 と改称(昭和27年)。 大正から昭和初期にかけての世界経済恐慌期に地元有志連がやっとの思いで設立した弱小私鉄の例に漏れず,この鹿本鉄道も災害に強いインフラを用意することができず大雨や台風のたびに運休を強いられ,昭和32(1957)年の集中豪雨では「植木」~「長浦」間の勾配築堤がズタズタに崩壊,莫大な復旧費用を調達する目処も立たず,国鉄連絡路を絶たれた会社は全線運休を余儀なくされ(昭和35=1960年),やがて全線廃止となりました(昭和40=1965年)。 私が植木に引っ越してきた翌年のことです。そういう訳で私は走っているこの鉄道の列車や線路を見たり乗ったりしたことがありません。 残っている資料も散逸し往時を偲ぶ縁(よすが)もほぼ皆無!どうすりゃいいのさ思案橋。(笑) 幸い廃線跡の用地が 「熊本県道330号自転車線,愛称:ゆうかファミリーロード」 の植木~山鹿区間にそっくりそのまま転用され,現在では立派なサイクリングロードに整備されました(平成4=1992年開通)。 これから何回かに分けてこの自転車道を実際に走り皆さんにご紹介したいと思います。 今回走る(宮原~)分田~来民は植木~宮原の開通(大正6年12月22日)から4年後の大正10 (1921)年12月02日の開業。 |
第7回となる今回は「分田停車場(ぶんだ)」から1つ山鹿寄りの「来民停車場(くたみ)」までの区間(1.6km)。 論より証拠で地図をご覧下さい。 なおルートである熊本県道330号線の一部が GoogleMap では航空写真上には道路が確認されているのに何故か道路として認識されていないのでちょろちょろと回り道表示されていますが,動画に見る通り実際には問題なく直進できます。 |
↑鹿本鉄道「分田停車場」跡 → 「来民停車場」跡 (1.6km) の地図がうまく表示されない場合はこのリンクをクリック |
宮原を出ると線路は菊池川本流を渡ります。 熊本県道330号として整備された現在はコンクリート橋の 「第二分田橋(176.3m, 1985年竣工)」 が架けられていますが,鉄道時代は4連トラス鉄橋でした。 この鉄橋はJR鹿児島本線の前身九州鉄道の千歳川(筑後川)初代鉄橋(1890年, 独ドルトムント・ウニオン社製ポニープラットトラス鉄橋)のうち橋桁4連を鹿本鉄道が譲り受けて移設したもので 「九州初の鉄橋」 としての側面を持ち,4連中の1連が短縮加工され 「水辺プラザかもと」隣接親水公園内に移設・公開 されています。 |
![]() ↑ 菊池川に架かる現在の橋は 「第二分田橋」 |
「鹿本鉄道」廃線跡自転車散歩7(分田~来民 1.6km, 5'53", BGM : ドヴォルザーク スラヴ舞曲第二集より第2番) |
↑動画がうまく再生されない場合はこのリンクをクリック! |
来民停車場のあった場所は現在 「録田(ろくた)団地」 という住宅地となっていますが,かつての駅入り口には下のような駅名標レプリカが設置され鉄道の面影を偲ばせています。 鉄道開通時には費用全額を町費負担で町を挙げて歓迎式典が挙行されたのだとか。 道路網が未整備で自動車も普及していなかった時代,鉄道は人と貨物の無くてはならない輸送の要(かなめ)だったからこそ現在も鉄道にノスタルジーを強く感じるのではないでしょうか。 来民停車場の構内図はこちら (出典:2004年(株)ネコ・パブリッシング刊RM LIBRARY 57 田尻弘行著『山鹿温泉鉄道』)。 当時の列車所要時間は上り植木行が6分,下り山鹿行が8分でした。 |
![]() ↑ 来民停車場入口に設置された「来民」駅名標レプリカ |
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