五島列島 全島制覇チャリ旅 第一部 (第2日)

2019/3/12(火)~3/13(水) 五島列島の奈留島久賀島を自転車で走りました。 今日は旅行第2日です。
昨年11月に友人等と3人で 「五島・長崎世界遺産巡りの旅」 を企画,はじめて五島 (野崎島,中通島) を訪れ,次は自転車でノンビリ走ってみたいものだと考えたのが今回のチャリ旅のはじまりでした。 天気に左右される自転車旅では五島全島を一度に回るのは難しく,1泊2日程度の旅を複数回重ねて全島制覇を目指すことにします。 なお 「五島全島」 を回ろうとすると全部で140近くになって収拾が付かなくなるので,五島列島の主要5島 : 1.中通島,2.若松島,3.奈留島,4.久賀島,5.福江島,をノンビリ回ることにします。
今回ご紹介する第一部では 「奈留島(なるしま)」 と 「久賀島(ひさかじま)」 を1泊2日で走ります。 昨年はじめて五島を訪れた際には 「野崎島」旧・野首天主堂「頭ヶ島」頭ヶ島天主堂という二つの世界遺産を訪ねましたが,建物そのものよりも離島のそのまた離れ小島の隠れ里という立地に,迫害を恐れて隠れ住んだキリシタンたちの不安とそこで生きていくのだという強い意志に大きな感動をおぼえました。 スケジュールの制約でその時に回れなかった世界遺産のうち今回は 「奈留島」江上天主堂「久賀島」旧・五輪(ごりん)教会を訪ねます。 なおこれら長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を訪問するには事前予約が必要受付人数には制限があるので注意が必要です (↓)。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター
五島列島は九州本土から 50~100km 離れておりお世辞にも交通の便が良いとは言えません。 また隣の島に行くのが必ずしも日常的ではない島民の方々の利用を想定した定期船の運行ダイヤは観光客にとって利便性が今一つであり,例えば同じ五島市の奈留島と久賀島ではお互いすぐそこに見えているのに一旦福江島に出て船を乗り継がないと行き来できないという信じ難い不便さ! 様々なシミュレーションを重ねた結果,今回の旅ではちょっと奮発して海上タクシーを利用することにしました (奈留港→久賀島五輪船着き場 6千円)。 九州本土から五島に渡る拠点は長崎港。 港隣接の長崎港ターミナル駐車場に車を駐めると五島航路利用者には割引料金が適用され,1日あたり 2,880円→1,440円となります。 熊本でもそうですが田舎では駐車料金を支払うのに千円を超過すると腕がフリーズします。(笑) 熊本市の自宅から長崎港までは九州道+長崎道利用で2時間。 早朝・夜間の自動車輪行で可能となった1泊2日の行程は次の通り!使用機材は 輪行 の容易な折り畳み自転車。 車輪の直径が20インチと通常サイズの26インチ車に比べて25%程小さく,脚力が少しだけ余分に必要となりますが,運動量は増えるので良しとしました。 DAHON Mu N360 という 風変わりな無段階変速機 を搭載した20インチ車輪の折り畳み自転車で走ります!
それでは行程をご説明しましょう。
◆ 第1日 : 2019/03/12(火) 自宅~(自動車輪行)~長崎港ターミナル駐車場
        長崎港 www (九州商船フェリー) www 奈留島 奈留港ターミナル
        奈留島 奈留港ターミナル~「瞳を閉じて」 歌碑~(自転車,県道168 : 8.6km)~江上天主堂
        江上天主堂 予約見学 (献金)
        江上天主堂~(自転車,県道168 : 8km)~奈留港ターミナル~(0.5km)~宿 奈留泊
        第1日自転車走行距離 : 17.1km
 ◆ 第2日 : 2019/03/13(水) 奈留島 奈留船着き場 www (海上タクシーあやかぜ,6,000円) www 久賀島 五輪船着き場
        旧・五輪教会 予約見学 (献金)
        旧・五輪教会~(自転車,県道167 : 8.6km)~牢屋の搾(さこ)殉教記念聖堂
        牢屋の搾殉教記念聖堂 見学 (施錠されていたので外から見学)
        牢屋の搾~(自転車,県道167 : 6km)~田の浦港
        久賀島 田の浦港 www (フェリーひさか) www 福江島 奥浦港
        奥浦港~(自転車,県道162 : 7.6km)~福江港
        福江島 福江港 www (九州商船フェリー) www 長崎港
        長崎港ターミナル駐車場~(自動車輪行)~自宅
        第2日自転車走行距離 : 22.2km
 トータル走行距離 : 39.3km
久賀島の道路事情について旅行計画時の 2019年3月時点では旧五輪教会周辺の道路幅・勾配・舗装状況についての情報が全くなく,五島市久賀出張所に照会してはじめて自転車によるアクセスの可能なことが判明しました。 同島では全島未だ GoogleStreetView が収録されておらず,走行動画を撮影・編集して旧・五輪教会~久賀島中心集落周辺区間の路面状況を YouTube にアップロードしておきました。 のちほどご紹介しますので,同島観光の参考になれば幸いです。
追記 2020/11/05
久賀島の 田の浦港~旧・五輪教会 県道167号線が GoogleStreetView で閲覧可能になりました。(2020年前半に更新か?)
 ◆ 第2日リポート ◆       (第1日リポートはこちら
海上タクシーあやかぜ@五輪集落船着き場第2日朝,朝食を摂りに1階の食堂に降りると宿の方から 「激しい雷雨で寝られなかったのでは?」 と声を掛けられ,当方全く気付かず熟睡していたことを白状。 深夜に大地震や津波に襲われても目覚めてパニックに陥ったり苦しんだりすることなくあの世に行ける自信はある!(笑)

これから久賀島の五輪集落船着き場に送ってもらう海上タクシーあやかぜの船着き場は, 定期船の発着する奈留港ターミナルから街の中心部方向に 650m 程離れていますが,なんと投宿した奥居旅館の目の前! 他の海上タクシーも近辺に独自の船着き場を構えています。 橋で隣の島や陸地と結ばれた天草の便利さが身にしみます。

あやかぜ号の最大定員は50人ということですが,久賀島島内の移動手段がジャンボタクシーに限定されるので,奈留島から海路で旧・五輪教会を訪ねた後に久賀島を陸路縦断する団体旅行では定員を5人以下に抑えておいた方がよさそうです。 海上タクシーの利用料金はどこも同じで1人~5人が奈留島奈留港→久賀島五輪集落船着き場の片道で6千円 (/1片道航海・1団体),携行荷物は最大で自転車まで (バイク不可 )とのこと。 9h00 AM 出港。 奈留島~久賀島の間は潮流が速いので少し上流に向かって進まないと上手く目的地に辿り着けないそうです。 五輪集落船着き場まで (4km) の所要時間は約20分。 お世話になりました!

上の写真は五輪集落船着き場で撮影。 青い海と空に黄色い船体が映えますなぁ! 写真左手方向にある旧五輪教会から海岸の護岸の上の歩道を右に進みあやかぜ号の真後ろから山に分け入り階段歩道を少し上ったところに集落の駐車場があります。 久賀島東北端の蕨 (わらび) 集落からここまで道路で結ばれたのは20世紀も終わりに近くなってからのこと。 それまで五輪集落は文字通り陸の孤島でした。 九州本土の長崎外海 (そとめ) 地区から迫害を逃れて移り住んだキリスト教徒たちが信仰を守るにはこのような僻地に隠れ住む以外に道はなかったのでしょう。
旧・五輪教会見学は 9h30~10h00 のコマを予約。 私のように奈留島から船で渡って来る来訪者,しかも自転車持参で見学後に久賀島を縦断するという人間は滅多にいないそうです。 はいはい,どうせ私ゃ変わり者ですよ。(笑)

ここで旧・五輪教会の建物について少し解説を。 明治14(1881)年,久賀島初のカトリック教会として同島西岸の浜脇(はまわき)地区に木造の 「浜脇教会」 が建てられました (設計・施行者不詳)。 のちに昭和6(1931)年,建物の老朽化と信徒数増加に対応するため鉄筋コンクリートで新しい教会が建てられ (現在の浜脇教会,後に訪ねます),解体された旧教会の建材は五輪地区の信徒らの求めに応じて同地区に移送,新たに組み立てられて 「五輪教会」 となります。 時は巡って昭和60(1985)年,最初の建立から百年以上が経ち老朽化窮まりなく鉄筋コンクリート造の新教会 (現在の五輪教会) にバトンタッチした木造教会は解体廃棄される運命にありました。

ところが久賀島在住のとある仏教徒の方から 「久賀島ではじめてのカトリック教会の建物であること」,「木造のキリスト教会としては日本最古の建物のひとつであること」 といった価値を指摘され廃棄せずに保存する流れとなり長崎県有形文化財指定 (1985),国重要文化財指定 (1999) を経て世界遺産登録 (2018) を迎えた次第。
世界遺産登録の有無に関わりなく宗教施設内部の撮影は了解を得られた場合のみと心得ておいた方がよいでしょう。 ここ旧・五輪教会は現在のところ内部撮影できるということになっていますが,不心得者がふざけた撮影をして面白半分に公開したりすると撮影禁止になる可能性のあることを肝に銘じて世界遺産の品位維持に努めましょう!

かつては十数軒を数えた五輪集落も今ではたった2軒を残すのみ。 隣の五輪教会で挙げられるミサも過疎化のあおりで月に一度となってしまいました。 陸の孤島の隠れ里が世界遺産に登録された今,人を呼び遺産を次の世代にきちんと伝えていけるよう維持・管理の道筋を全国規模で知恵を絞らなければなりません。
↑久賀島横断 : 旧・五輪教会~牢屋の搾殉教記念聖堂~田の浦港 (14.6km) 走行ルートが上手く表示されない時はここをクリック
今回の旅のハイライト : 旧・五輪教会から同島中央部久賀湾岸の牢屋の搾 (さこ) 殉教記念聖堂を経て西岸の田浦港までの島横断行のうち前半区間の旧・五輪教会→牢屋の搾殉教記念聖堂 (8.6km) 走行10倍速動画です。
↑ 旧・五輪教会~牢屋の搾殉教記念聖堂走行10倍速動画 (5'45") うまく表示されない場合はココを click
Google Street View 未導入(2020年待望の導入!)の久賀島の道のうち情報の乏しい旧五輪教会~蕨集落間の奥の細道の路面状況 (道幅・路面状況・勾配) が判るようアップロードしました。 等速だと上り坂区間が悲惨なほどノロノロなので10倍速にして誤魔化しました。(笑)

実際にはこの区間 8.6km 走行に60分を要しています。 前述の地図に道路の起伏も表示されるように旧・五輪教会~蕨集落の間にある2つの峠越えがなかなか大変でした。 旧・五輪教会から五輪集落駐車場まで 500m の歩道は 「最初から歩道として整備された道というより,人が歩いた跡が歩道になったと」 いう風情に溢れた現代には得難い走行体験だったことを報告しておきます。
牢屋の搾殉教記念聖堂外観青息吐息で着いた牢屋の搾 (さこ) 殉教記念聖堂。 この場所を知るまで日本のキリスト教迫害のピークはてっきり江戸時代だとばかり思っていたのですが豈 (あに) 図らんや,ここで200名近くの信徒がたった12畳ほどの牢に8ヶ月に亘り投獄され内39名が獄中死,4名が解放後に死亡という凄絶な迫害 (五島崩れ) があったのは明治元年から同2年にかけて (1868~69) のこと! 今日思想信教の自由が憲法で守られている日本近代史の黒歴史の一コマです。 日本の切支丹迫害に対して海外から批判に折れた明治政府が禁教令高札を降ろす (1873) 直前の悲劇でした。 現在の建物は牢跡地に隣接した発電所施設の建物を改装したもので昭和59 (1984) 年の献堂。 この日は偶々閉まっていたガラス扉から中を覗くと畳12畳分の床面が灰色に区分けされ悲劇の記憶を今日に伝えています。
牢屋の搾殉教記念聖堂殉教者慰霊碑牢屋 「跡地」 に建立された殉教者慰霊碑。 獄中死39名+4名という大量殺戮が法の名の下に執行された事実をどう考えればよいのやら。

この日ここに辿り着いた時,一人の初老の男性が反対方向から徒歩でやってきました。 一旦挨拶を交わして私が休憩している間に男性は見学を済ませ,「深浦」 集落への道を訊かれたので辛うじて電波の入るスマホで調べる間にしばらく言葉を交わしました。 野崎島にまだ人が暮らしていた昭和50年代に自分も同島に住んでいて現在も時々里帰りするという男性の矍鑠たる様子から聖職に就かれていたのではないかと思われました。 福江島から朝 9h30 着の船で私がこれから向かう田の浦港に到着後,山を越えて 6km の道を歩いてやって来たという男性の言葉に,ひ弱な爺の私は心底恥じ入りました。 参りました,ハハ~ッ!m(_ _)m
牢屋の搾記念聖堂を後に,久賀島中心の久賀集落にある五島市久賀出張所に立ち寄って道路情報提供への謝辞を述べ,同島唯一の学校 : 五島市立久賀小中学校前にあるこれも島内唯一の信号機を写真に収めてから最後の峠越えに挑みます。 最初は緩やかな上り坂は直ぐに急坂となり迷わず自転車を降りて押し歩きます。 見ている人が殆どいないのが救いか?(笑)

久賀島島内に食料品を扱う店がはたして何軒あるのか判りませんが,丁度お昼どきの久賀集落で食料品の移動販売車が店開き中でした。 持参したおにぎりはのちほど田の浦港の待合所でいただくことにします。
フェリーひさか@奥浦港最後の峠 (96m) を越え,浜脇教会に立ち寄りましたがこの日は生憎扉が閉まっていました。

浜脇教会は後刻船上から勇姿を拝ませていただくことにします。

全島で300人強に過ぎない久賀島に定期船しかもフェリーが就航しているのは行政からの補助金あっての僥倖です。 無駄遣いは厳に戒めなければいけませんが,公共交通なしには観光も何もあったものではありません。 ショッキングピンクの塗色は必ずしも五島の風景にマッチしているとはいえませんが,船体が更新されているのは喜ばしいことです。 このピンクの塗色は先代船から受け継いだもののようです。 また合理化のため,田の浦・奥浦港とも陸地に要員を置かず,接岸・受付をはじめ全ての作業を乗組員だけでこなします。 車両デッキから客室に上がる階段下に小学校の小さな机と手提げ金庫を構えて乗船受付をする様子はなんとも長閑 (のどか) でした。 写真は対岸福江島の奥浦港に到着後撮影。 (フェリーひさかの運行ダイヤはこちら
船上から望む浜脇教会久賀島と対岸の福江島はほんの目と鼻の先,たった 2km の距離しかありません。 久賀島の田の浦港から福江島の奥浦港に向かうフェリーひさかの営業距離は 4km,所要たった19分。 でも歩いては行けない場所だからなぁ…。

海峡を渡り終えた船が奥浦湾に入り揺れが収まる頃,右手に煉瓦造の美しい教会がすぐ近くに見えます。 「堂崎(どうざき)天主堂」 明治41年 (1908) 完成,その後大正6(1917)年に正面ファサードが改築されて現在の姿となりました。 ここでも棟梁 鐵川與助の名前が登場します。

福江城から北に 8km,奥浦湾沿いの地区は陸路が整備される以前は陸の孤島で,江戸時代末期に五島ではじめて九州本土から切支丹らが入植した土地です。 18世紀後半,九州本土の長崎外海 (そとめ) 地区から耕作移民を募る福江藩 (五島藩) の求めに応じ多くの農民が海を渡ります。 勿論それ以前から五島には切支丹がいたのですが,18世紀の大量入植が五島切支丹史の重要なマイルストーンとなったのは間違い有馬(温)泉。
船上から望む堂崎天主堂堂崎天主堂は禁教令解除後の五島に初めて建てられたカトリック教会で,かつては五島最大のキリスト教拠点でした。 鐵川與助は (1879~1976) 堂崎天主堂の建設開始時すでに家業の大工を組織化,鐵川組を立ち上げており (1906) また持ち前の進取の気性から叩き上げ大工としては例外的にアカデミズムの牙城である日本建築学会の准会員として推薦入会 (1908) するほどの腕前を広く知られた存在。 堂崎天主堂を手掛けるには打ってつけの人材でした。 第1日の江上天主堂でもふれましたが,與助の業績に関しては 喜田信代さんの労作 『天主堂建築のパイオニア・鉄川與助 ― 長崎の異才なる大工棟梁の偉業』 日貿出版社刊 2017年 を参考にさせて頂きました。 なお堂崎天主堂はカトリック教区統廃合により現在は教会としては機能しておらず,昭和52(1977)年以降は五島のキリスト教関連資料を展示する資料館として一般公開,久賀島からの船が発着する奥浦港からは北に 2km の場所にあります。 今回は時間の関係で訪問できませんでしたが,次回はぜひ訪ねたいと思います。 福江港からほぼ平坦路で行ける!という立地がまた素晴らしい! 長崎に戻るフェリーが発着する福江港まで 7.6km。 さあ,もう一踏ん張り!
※ おわび : 古いカメラ+望遠レンズで連写合成 HDR 撮影,被写体ブレを起こしてしまいました,すんまっシェン!

五島福江島 : 奥浦港~福江港 (7.6km) ルートを航空写真を見る (クリック→別画面地図)
フェリー椿丸ふたたび@福江港奥浦発 14h54,福江港到着 15h40。
乗船する長崎行フェリーの出港は 16h50 なので余裕の到着。

五島航路は2隻体勢で,1日あたり各船が五島と福江を1往復半ずつ300km を走る運用になっています。 これが新幹線になると例えばのぞみ号は編成平均で毎日 2 ,500km,
1ヶ月では 75,000km。 働き者だ!

などと考えているうちに が到着。 接岸するため目の前で回頭を始めます。 大きな船なのに小回りがきくのは,船体を左右に貫くトンネルが前部に穿たれ内部のスクリューで首を振り後方では反対方向に舵を切るからです。 大きな船が小回りする様子はいつまでも見ていられそうです。

20h00 定刻長崎港到着。 大きな船もアバウトではなく分刻みの精密ダイヤなのはエライ! 長崎港ターミナル駐車場で自転車を畳んで車に積み込み,日付が変わる直前,自宅に帰り着きました。
本日の自転車操業距離 22.2km,向かい風強し! 
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